院長 藤原敬
昭和27年5月21日生 73歳
昭和52年 岡山大学医学部卒業
昭和52年〜 岡山大学脳神経外科医員
昭和54年〜 岡山済生会病院
昭和56年〜 岡山大学脳神経外科助手
昭和58年〜 香川医科大学脳神経外科助手
昭和59年〜昭和61年
アメリカ合衆国マサチューセッツ大学研究員
平成3年〜 香川医科大学脳神経外科講師
平成8年〜 呉共済病院脳神経外科医長
平成14年〜 同診療科長
平成15年11月 藤原脳神経外科クリニック開設
【専門医資格その他】
脳神経外科専門医 昭和59年
麻酔科標榜医 昭和58年
医学博士 昭和63年
【所属学会】
日本脳神経外科学会
日本脳神経外科コングレス
日本脳卒中学会
日本神経学会
日本心療内科学会
日本高血圧学会
日本頭痛学会
日本てんかん学会
【著書】
クラシック音楽・持論・抗論・極論 (風詠社)
自己啓発としての徒然草 (日本橋出版)
わたしはリバタリアン (風詠社)
私の履歴書 風のように翼のように(非売品)
認知症を予防するための12箇条(アメージング出版)
三つの恋の物語(非売品)
趣味
【囲碁】
囲碁六段:最近は碁会所に行く時間がなく、もっぱらインターネットで対局を楽しんでいます。
【音楽】
クラッシック音楽ファンです。
2012年に「呉市音楽家協会」会長を拝命し、呉市の音楽文化の発展、振興に微力ながら努めております。
当ビル3階の
「ガレンホール」
にてミニコンサートを行っています。
男声アンサンブルグループ
「スターボーイズ」
を結成し、演奏活動を行っています。
【写真】
風景、花、動物を中心に撮影しています。いずれ個展を開きたいと思っています。
脳神経外科専門医 國吉 毅
昭和34年9月3日生 65歳
昭和61年3月 香川医科大学卒業
昭和61年4月 香川医科大学脳神経外科
昭和62年1月 国立福山病院脳神経外科
平成元年4月 香川医科大学脳神経外科
平成4年9月 岡村一心同病院脳神経外科
平成5年4月 香川医科大学脳神経外科
平成5年10月 大津市民病院脳・神経外科
平成6年1月 岡村一心堂病院脳神経外科
平成7年9月 徳洲会南部徳洲会病院脳神経外科
平成18年4月 以和貴会西崎病院脳神経外科
平成22年 以和貴会西崎病院副院長
令和元年6月 社団福和会ウェルネス西崎病院病院長(西崎病院兼任)
令和2年4月 沼南会沼隈病院診療部長
令和5年5月 廿日市記念病院脳神経外科
令和7年7月 藤原脳神経外科クリニック
【専門医資格その他】
脳神経外科専門医 平成5年
日本脳ドック学会認定医 令和7年
医学博士 平成5年
【所属学会】
日本脳神経外科学会
日本脳神経外科コングレス
日本脳卒中の外科学会
日本認知症学会
日本脳ドック学会
【着任の挨拶】
この度藤原脳神経外科クリニックに入職しました國吉毅(くによし つよし)と申します。このようなご挨拶の機会を頂き、感謝致します。
私は、沖縄県糸満市に生まれ、小中高校と当地で過ごした後、昭和55年香川医科大学(現香川大学医学部)に、1期生として入学しました。
学生時代は野球に明け暮れましたが、6年間で無事1期生として昭和61年に卒業し、そのまま母校の脳神経外科学講座に入局しました。
その後大学病院や関連病院にて、約9年間研鑽を積み、脳神経外科専門医と学位を取得しました。大学病院に勤務している時に、
指導医として当クリニック院長の藤原敬先生にご指導を受けました。その後平成7年9月一人暮らしをしている父親の面倒を見るため、
地元に近い沖縄県にある南部徳洲会病院に入職し、以来約12年間2名しかいない脳神経外科で、24時間365日救急を断らない病院で、
忙しい日々を送っていました。その後差し迫った家庭の事情(父親の介護)で、地元糸満市にあるケアミックス病院である西崎病院に移りました。
そちらで約14年間副院長として務めていました。
その後3人の子供も社会人として巣立った事を契機に、今後の後半生を妻の出身地である尾道周辺で過ごそうと決め、コロナ禍が始まった令和2年3月に、
約25年間住み慣れた沖縄を離れ、福山市にある沼隈病院に入職いたしました。その後広島市内に引っ越して、廿日市記念病院を経て、
この度旧知の藤原先生のクリニックに入職する事になりました。
以上のような経歴ですが、これまで培った臨床経験を、出来るだけ皆さんのお役に立てるよう頑張ります。何卒宜しくお願い申し上げます。
【認知症の診療について】
私の得意な診療領域として、認知症があります。認知症の診断で大事なのは、まずその診断を確実に行うことです。一口に認知症と云っても
様々な病型があります。その際最も重要なのが、患者さん本人の診察よりも、身近におられるご家族や介護者の情報です。それに加えて、
患者さんの診察所見、各種認知機能検査(得点自体よりそのパターンが重要です)、画像検査(頭部CT若しくはMRI)等を駆使して、
正確な病型を診断することです。なぜなら、その診断結果によって、どのような対策をとるべきか、使用する抗認知症薬の選択、
用量(量のさじ加減が重要です)が全く変わってくるからです。また、認知症の治療では、周辺症状(易怒性、暴言・暴力、妄想、徘徊、
不穏症状など)に対する対処の仕方が鍵を握っています。その際使用する薬剤の使用方法にも様々なコツがあります。
お困りの方がおられましたら、気軽にご相談ください。お待ちしています。
【私の趣味:三つ子の魂・・・】
前述の通り、私は、昭和34年沖縄県の糸満市字国吉という小さな集落で生まれ育ちました。田舎暮らしの中で、文化的なものに触れると云えば、
テレビやラジオ、雑誌の世界が殆どでした。小学校高学年になると、テレビの洋画劇場、荻昌弘がMCの「月曜ロードショー」、高島忠夫がMCの
ゴールデン洋画劇場」、「それではみなさん、さよなら、さよなら、・・・さようなら。」でお馴染み淀川長治さんがMCの「日曜洋画劇場」は、
ほぼ毎週欠かさず見ていました。その中でも特に好きだったのは、マカロニ・ウェスタン(イタリア製西部劇)で、フランコ・ネロが主演した
「続・荒野の用心棒」(原題”DJANGO”)は世界中で大ヒットし、テレビでも盛んに放映されていました。洋画専門誌の「ロードショー」を毎月買い求め、
映画の知識を増やしていました。その頃培った映画への偏愛は現在も続いており、ひたすら録画・ダビングし、収集した映画は洋画邦画併せて現在3000本を
超えました。他にも邦楽・洋楽のコンサート、「アメトーク」などのバラエティ番組を含めると、5000本程度はあるものと思います。
私はそのコレクションを、以前の職場ではTSUTAYAならぬTSUYOYAと称して、職員に無料レンタルしていました。こちらでもTSUYOYAを出店する
予定ですので、(職員の)皆さんのご利用をお待ちしています。
以上つらつらと述べてきたように、現在の私の趣味の大部分が、小中学生の頃に端を発する事を改めて認識すると共に、人間の本質というのは
何歳になっても変わらないものだなあ・・・と、還暦を既に5年余経過した現在、しみじみと感じ入っています。
一見堅物に見えますが、中身は実に軟らかい人間です。是非気軽に声を掛けて下さい。宜しくお願い申し上げます。